サン・パウ病院

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サン・パウ病院(Hospital de Sant Pau)とはスペインのバルセロナにある病院で、1997年、カタルーニャ音楽堂とともにバルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院としてユネスコの世界遺産に登録された。この病院では現在も診療が行なわれている。
ムデハル様式のこの豪華な病院は1902年から1930年にかけて建築された。設計はカタルーニャ音楽堂と同じく建築家リュイス・ドメネク・イ・モンタネールが手がけている。敷地内には複数の建築物が立ち並ぶ巨大な建物群である。

スペインてとにかく建物がすばらしいんですね・・・・。

カタルーニャ音楽堂

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カタルーニャ音楽堂は建築家リュイス・ドメネク・イ・モンタネール(Lluís Domènech i Montaner)によってモデルニスモの様式で設計されたコンサートホールである。1905年から1908年にかけて、カタルーニャ・ルネサンス(文芸復興運動)において指導的役割を果たした合唱団、オルフェオ・カタラ(Orfeó Català、1891年設立)のために建設された。建設にあたってはバルセロナの篤志家たちの財政支援も受けている。この音楽堂の建設によりドメネクは1909年にバルセロナ市より賞を受けた。

1982年から1989年にかけてオスカル・テュスケ(Oscar Tusquets)とカルルス・ディアス(Carles Díaz)による大規模な修復が行なわれた。1997年、カタルーニャ音楽堂はユネスコの世界遺産に登録され、今日では毎年50万人以上の人々が交響楽や室内楽、ジャズ、伝統音楽などを楽しむためにこのホールを訪れている。

ここで音楽聴いたらさぞかし気持ちももりあがりそうです。

カサ・バトリョ

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バルセロナ、アシャンプラのグラシア通り43番地に位置するカサ・バトリョは、1870年に建設された建物である。大繊維業者ジュゼップ・バッリョ・イ・カザノバスの依頼を受け、1904年から1906年にかけて、ガウディはこの邸宅の改築を行なった。この改築でガウディは、建物に5階と地下室を加え、玄関広間を広げ、階段や内壁を作り直し、各部屋に曲線的なデザインを持ち込んで、タイルやステンドグラスの装飾をほどこした。

この邸宅の造形にはさまざまな説がある。第一に、屋根の一部が丸く盛り上がり、まるでドラゴンの背中のように見えることから、カタルーニャの守護聖人であるサン・ジョルディの竜退治の伝説をなぞっているという解釈である。この解釈によれば塔は聖人の構える槍とされる。カサ・バトリョには、ファサードの石柱が骨を想起させることから「骨の家(Casa dels ossos)」というあだ名もあるが、竜退治説によればこの骨もドラゴンの犠牲になったものたちの骨と理解されている。

第二の解釈は屋根をアルルカンの帽子に見立て、ファサードのバルコニーは仮面を、ジュゼップ・マリア・ジュジョールによるさまざまな色の破砕タイルのモザイク(トランカディス)が祭りの紙吹雪を表わしているとする謝肉祭説である。[1]

邸内でガウディは自然光を効果的に取り込み、そのタイルの濃淡を変えている。これらの光と色の効果により海底洞窟をイメージして作られたとする説もある。[2]

ガウディがカサ・バトリョのためにデザインした家具のうち、机とベンチについてはそれぞれ1つずつ邸内で見ることができる。残りの作品はカタルーニャ美術館が所蔵している。

こんなとこに住んだら素敵でしょう。ねえ。

グエル公園

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施主のエウセビオ・グエル伯爵とアントニ・ガウディの夢が作り上げた分譲住宅で、1900年から1914年の間に建造された。彼らが最も傾注していた芸術はリヒャルト・ワーグナーの「楽劇」で、ガウディは同じ芸術センスを持つグエル伯爵の下で、自然と調和を目指した総合芸術を作り上げようとした。この頃、バルセロナでは工業化が急速に進んでいた。それに対してガウディとグエルはこの場所に、人々が自然と芸術に囲まれて暮らせる、新しい住宅地を作ろうとした。しかし、ふたりの進みすぎた発想と自然の中で暮らす価値観は、当時理解されなかった。

広場、道路などのインフラが作られ、60軒が計画されていたが買い手がつかず、結局売れたのは2軒で、買い手はガウディ本人とグエル伯爵だけであったという。

グエル伯爵の没後に工事は中断し、市の公園として寄付される。現在はガウディが一時住んだこともある家が、ガウディ記念館として公開されている。中にはガウディがデザインした家具なども集められて展示されている。

アントニ・ガウディ

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アントニ・ガウディ(1852年 - 1926年)は古今東西の折衷様式を唱えたモデルニスモの代表的建築家として知られる。アントニ・ガウディは26歳の時、パリの博覧会に出品したのをきっかけに大富豪、エウセビオ・グエルと出会う。
サグラダ・ファミリアとは「聖家族」を意味する。正式名称はEl Temple Expiatori de la Sagrada Família(聖家族贖罪教会)。日本語では聖家族教会または神聖家族聖堂などと呼ばれる。アントニ・ガウディの代表作の1つ。最近の予測では、完成は2256年前後と言われている。建設開始から長い年月が経っているため、建築と並行して修復も行われている。10ユーロを入場料兼寄付として集めており(2008年8月現在)、その収入で建造及び修復が進められているそうです。

落書き、一杯してあったなーーーー。

セビリア大聖堂

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セビリア大聖堂(セビリアだいせいどう)とは、スペインのセビリアにあるカテドラルである。スペイン最大といわれているがトレド大聖堂も同様に自らをスペイン最大と称している。どちらが大きいかの決着はついていないが、スペイン最大の大聖堂は世界で3位の大きさの大聖堂であることは決定している。ちなみに1位はローマのサン・ピエトロ大聖堂、2位はロンドンのセント・ポール大聖堂である。

レコンキスタ以前はこの地には巨大なモスクが立っていたといわれている。ヒエルダの塔はかつてはモスクの尖塔であったそうだ。そのモスクを破壊したあとに教会建築は始まった。建物自体にモスクの名残がいくつかみられる。例えば、免罪の門から入った場合は教会に入る前に中庭が存在するといったところである。

見所としてはコロンブスの墓などがあげられる。

大変保存状態が良いですよね。

アルタミラ洞窟

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アルタミラ洞窟(あるたみらどうくつ, 英:Altamira cave, スペイン:Cueva de Altamira) は、スペイン北部、カンタブリア州の州都サンタンデルから西へ30kmほどのサンティリャナ・デル・マール近郊にある洞窟。ユネスコの世界遺産に登録されているアルタミラ洞窟壁画で知られる。
洞窟の長さは約270mほど。
これらの壁画は1879年にこの地の領主ソウトウラ(Marcelino Sanz de Sautuola)の5歳の娘マリアによって偶然発見された。ソウトウラはこれらの絵が旧石器時代のものであると考え、1880年に発表したが、当時は旧石器時代の絵が知られておらず荒唐無稽な話と思われたため、しばらく学界からは否定された。その後、20年ほどの間に、他の地でもいくつかの洞窟壁画の事例が報告されたが、これらの絵にも当初は否定的な見解がなされた。1900年代に入ると旧石器時代の絵と認識されるようになり、各地でも洞窟壁画の発見が相次いで報告されるようになった。

しかし、アルタミラ洞窟の中の絵は、痛みがひどくなっているので、現在は公開されていない。

ぜひともみてみたい・・・

食習慣


スペインでは日本と異なる時間帯に食事を摂り、一日に5回食事をすることで有名。

デサユノ(Desayuno):朝食。起きがけに摂る食事。パンなどを食べる。
メリエンダ・メディア・マニャーナ(Merienda media Mañana):朝の軽食。午前11時頃、サンドイッチ、タパス(おつまみ)などを食べる。
アルムエルソ(Almuerzo):昼食。一日のメインの食事で、午後2時頃、フルコースを食べる。
メリエンダ(Merienda):夕方の軽食。午後6時頃、タパス、おやつなどを食べる。
セナ(Cena):夕食。午後9時頃、スープ、サラダなどを食べる。

食いすぎ・・・